いつくしみの聖母会

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『日本と原発』の上映会

 7月19日(土)午後1時より、大分県由布市中台公民館(いこいの家中台荘)にて、『日本と原発』の上映会が開かれました。常々、原発の問題については、本や新聞記事など文字を通してより、映像によって視聴覚にうったえた方が理解しやすいと思っていました。それで、この映画を通して原発について考える集いと思い立ちました。けれども、製作者から借りるためには、高額のお金が要り、大勢の人を集めなければならず、半ばあきらめかけていた所に、大分女子カルメル修道院のシスターを経て九州・自然エネルギー推進ネットワークの小坂正則(大分市在住)を通して、この映画の試写会用DVDを借り、少人数でも見ることができる道が開かれました。

 そもそもは、福岡で脱原発運動をしておられる青柳行信さんが、製作者と交渉して、3ヶ月限定で、お金をかけずに少人数でも見ることのできるやり方を認めて頂いたのだそうです。私達は、とても幸運でした。

 会場となった中台公民館は、別府の中心地から車で15分ほど上った山間部にあります。中台地区は、もともと開拓農家の集落があった所で、カルメル修道院が、公民館に隣接しています。十畳2間続きの和室に座ぶとんを置き、シスターのアイデアで、畑で使う寒冷紗(かんれいしゃ、作物のおおいとして使う黒いネット)を窓際に張って、自然の心地良い風を通すと同時に室内を暗くして画面を見やすくしました。部屋の中には、家庭用の小さな扇風機が1台あるだけです。また廊下には、昨年児童館の小学生が作ったパネルを展示しました。参加者は15名。内訳は、カルメル修道院のシスターが3名、大分から3名、別府から5名、日出町から1名、中台地区から2名(田娘)、宮崎県延岡市から1名でした。途中で休憩時間をとり、シスターのさし入れて下さったケーキやお茶、コーヒーを頂きながら、自然な形で、前半を見ての感想を分かち合いました。

 後半を見終わった後、文字通りひざをわっての分かち合いとなりました。分かち合いの中では、次のようなことが、語られました。

● 原発が、作り始められた頃、朝日新聞に載っていたサトウサンペイ氏の4コママンガに、”原発が、そんなに人々の生活に役に立つなら、都会のまん中に作ればよい・・・”というのがあったのを思い出した。あの時から電気の消費地である大都会と原発のある地方の問題、立地に関する問題があったんですよね。

● 農業技術者として永年働いて来て今、言えるのは、科学・技術っていうのは、ある一定の条件が整った上で、それを基盤として成り立つときに、人間のために良いものとなるのであって、整わなければ害になる。その意味で原発は害でしかない。

● 経済と安全は、両立しないんじゃないか。経済性を重んじれば、安全性は薄くなり、安全性を重んじれば、経済的に成り立たない。これが問題ですね。

● 科学・技術が、人間にとって良いものであるためには、最終処分まで含め、それが循環できるような道筋ができていないといけないんじゃないか。

● 事故がなくても、通常動いている状態でも原発によって死の灰が生み出され、人間は、それをどうしようもない。原発をやめるしかない。先日、地元出身の自民党議員が、飯田さん(映画に出てくる自然エネルギーの専門家)を招いて講演会をやった。あれっと思って参加したが、その集いのさいごにその議員が、プルトニウムを持つことには、軍事目的があり、抑止力になるんだという話をしたんですね。

● 脱原発についても、安保関連法案への抗議についても、何故そうなのかということをきちんととらえておかなければならない。そして、子ども達の将来のことを考えなければならない。

● 原子力ムラについての説明が、よく分かった。本当にがっちりとつながっているんですね。総括原価方式をやめることによって、原子ムラを何とか変えられないだろうか。

● 飯田市(長野県)が、取り組んでいるような市民が協力して電力需要をまかなうやり方が、今後、期待されると思う。

● 原発がなくても、代替エネルギーに不足することはないというが、”代替エネルギー”の発想自体に疑問を持つ。今の生活を変えないということは、結局、未来のことを考えていないということになるのではないか。私達の生活を20年前のレベルにまで戻して、節電の工夫をすること、つまり、代替エネルギーがなくても、不便を感じずにできる生活のスタイルを考えるべきではないか。

● ”経済”ってどういうことかという根本的な問いが、浮かぶ。”個”の欲望を限りなくふくらませそれを満たすことが幸福だという考え方が、本来の”経済”のあるべき姿をまちがった方向に動かしているのではないか。

● 原発事故によって最も苦しんでいる人たちー避難生活をしている方々、町長さんや村長さん、原発内で収束のために働く下請けの方々などーと、東電の上層部や国の政治的指導者との隔りの大きさを感じる。それは、戦時中と同じ構造を思わせる。戦争中 指令塔として上に立っていた人々と、前線で戦った兵士、疎開生活をおくった市民、沖縄の人々、ヒロシマ・ナガサキの人々などとの隔り。

 

以上のように、この映画を見て、文明論や歴史論的に思索は広がり、深められて行くようでした。今も、考え続けています。映画会にお母さんといっしょに参加した女の子”夢ちゃん”は、農業高校の2年生です。もうすぐ、楽しみにしていた修学旅行です。映画を見て帰宅した後、こわがって修学旅行に行きたくないと言っているそうです。確かに、原発という存在に関わり、広がる現代社会の悪に関して、私達ひとりひとりに責任があります。そのことに気付き、考え、生活を見直しあらため、伝え、学び、そして祈ることを、この映画会の場で、お互いに確かめあったような気がします。そして、勉強会のような形でも、このような集いを続けることが出来たらと思っています。

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