インマヌエル
今年、御降誕祭に、特に心に響くのは、”インマヌエル”(神はわれらと共にいます)ということばです。”共にいる”ことの喜びを実感した出来事があります。それは御降誕祭の10日ほど前、いつくしみの家(学童保育)の小学生が、同じ敷地内にある放課後学童デイサービスにやって来る障害を持った子ども達を聖堂に招いて行なったクリスマス会のこと。
自閉症、ダウン症、発達障害の小・中・高生たちの中には、初めての場所に行くことに強い抵抗を感じる子もいて、1週間前に、聖堂を開放し、ひとりひとりに招待状を準備しました。聖堂内は椅子を全部取りのけ、皆、ざぶとんで祭壇の下の小さな馬小屋を囲みました。男子の紙芝居「やさしいひつじかい」、女子のハンドベル「もろびとこぞりて」、神父様のお話、キャンドルサービス、おたのしみなどのプログラムで、40分間ほどをいっしょに過ごしました。あたたかい、拍手や"ヤッター””ありがとう”という、うれしいことばかけを頂きました。もちろん、中には、がんばって座っていてくれた子どもたちもいましたが、最後に後ろの窓からでっかいサンタさんが入って来た時は、皆、大喜びでした。
クリスマス会が終わった後、考えたのです。あのあたたかい雰囲気は何だろうと。そして、心に浮かんだのは、”インマヌアル”ということばです。いっしょにいることの喜びが、あのあたたかい雰囲気を醸し出していると思いました。私は、”いっしょにいてくれてありがとう”と言いたいです。ことばにすることはなくても、子どもたちも大人も、みんな、互いに、いっしょにいてくれてありがとうという思いを心の中に持っているのではないでしょうか。そして、両手を広げて、あまねく人々を招き、迎え入れて下さるイエスさまこそが、その中心なのですね。
「見よ、おとめがみごもって
男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は『神は、われわれとともにいます』という意味である。」
(マタイ1:23)
― 主を待ち望む ―
いつくしみを生きる
イエスのメッセージは、いつくしみ。
神のみ顔は、いつくしみ深い父親のそれ。そして、いつも忍耐強い。
(2013.3.17 お告げの祈り)
わたしたちを証し人とする霊
神のエネルギーの霊よ、
あなたの力によって、わたしたちは証し人となる
あなたの力によって、わたしたちの弱さは、
キリストを示すための力に変えられる
生きている熱情の霊よ、
あなたの息吹によって、わたしたちの証は、勢いづけられ
永続的な歓喜のもとに留り続ける
焼けつくような愛の霊よ、
あなたの炎によって、イエスが教えた限りない愛を証しするために
わたしたちの心は、燃え上がる
和解の霊よ、
あなたの平和によって、わたしたちは、すばらしい一致の、
美しい協調の、互いの尊敬の雰囲気をつくり上げることができる
歓喜の霊よ、
あなたの喜びによって、わたしたちは、世の霊と、その全ての
悲しみに対するキリストの勝利をあらわすことができる
(「ランパス」2016.12月号。訳山下敦)
私のすべてはあなたのため
『このために わたしは 苦労しており、わたしの内に 力強く働く キリストの力によって 闘っています。』(コロサイ1:29)
そうです。すべてはあなたのために、愛する方よ。一歩一歩、ひと息ごとに、ひとつひとつの動きも、ほほえみも あなたのために。ただ、あなたのためにだけ。
光の跡
『ふさわしい献じ物をささげて、主に依り頼め。』(詩編4:6)
つまらないことを考えて、時間を無駄にしないように歩みましょう。そして、いつも神の助けに堅く信頼してこの地上を生きて行きましょう。光と愛と奉献の跡を残しながら。
すべての限界を超えて
『あらゆる人知を超える神の平和が、あなた方の心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。』(フィルピ4:7)
天の母は、私たちの心がただイエズスと彼の愛だけで満たされるのを助けようと望んでおられます。そのとき、私たちは、真に自由で幸せです。そして、イエズスと人々の為なら、どんな犠牲も決して多過ぎることはないように思えるのです。
愛に出会った
『望んでいた同情は得られず、慰めてくれる人も見いだせません。』(詩篇69:21)
いつか、イエズスは、あなたにこう言うかもしれない。『私を慰めてくれる人を探しました。そして、見つかりました』と。
いつも用意していなさい
『だから目をさましていなさい。あなた方は、その日、その時を知らないのだから。』(マタイ25:13)
天の母マリアと一致して、今の瞬間を晴れやかに生きています。そして、将来のことを余計に心配していません。良き御手の内にあって、御父のみ旨が成し遂げられるのを待ちながら。
苦労と喜び
『わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。』(エフェソ1:19)
私は、神に苦しむことのないようにとは求めない。むしろ、神のみ旨に従って、良く苦しむことができる力を持つことを願います。
すべてが可能
『わたしを強めてくださる方のお陰でわたしにはすべてが可能です。』(フィリピ4:13)
主よ、あなたは、あなたをさがし求める者を決して見捨てられません。だからわたしたちの人生の残された時間の一瞬さえも無駄にすることのないようにしてください。
がか
ただひとつの体で
『キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなた方は招かれて1つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。』(コロサイ3:15)
確かに人生というものは、美しい。けれども本当に愛し、しかも清くて誠実で無償の愛にとり囲まれていると、人生は、驚くべきものとなるのです。
何も恐れない
『主を畏れる人は、何事にもおびえることがなく、決して臆病風を吹かせない。主にこそ彼は信頼しているから。』(シラ書34:16)
わたしは、祈ることをたよりにして、父なる神の腕の中に身をまかせて生きています。何も気にしないで。
僕の偉大さ
『はっきり言っておく。僕は、主人にまさらず、遣わされた者は、遣わした者にまさりはしない。』(ヨハネ13:16)
私の前には、イエズスの十字架がある。彼を見るだけで、すべては、もっとやさしくなる。
愛と恵み
『わたしの恵みは、あなたに十分である。力は、弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。』(Ⅱコリント12:9)
彼の愛と恵みは、私たちに十分であり、むずかしい歩みのとき、私たちを助けて下さるので安心です。イエズスのさいごの出会いを待ち望んで全生涯をささげることには、価値があります。
喜びの涙
『あなたがたのために苦しむことを喜びとします。』(コロサイ1:24)
ほほえみましょう。とりわけ、私の心が血を流すほど痛むとき・・・。その時こそ、私たちのささげものは、完全となり、人々は救われるのです。
生きたしるし
『何を話すにせよ、行なうにせよ、すべてを主イエスの名によって行ないなさい。』(コロサイ3:17)
どこにいても、何をしていても、私の生活が彼のためだけ生きたしるしとなるよう努めます。