私たちのカリスマ
会員は、一般の奉献された信徒としてだけでなく、在俗会会員として、独特の方法で自分の使命を果たすことを目指しています。その独特のカリスマは、自分が所属する会のカリスマであって、自分がこれに心を奪われて自分を神に捧げるように励まされるものです。
いつくしみの聖母会のカリスマは、次の4つにまとめられます。
1.喜びの愛 : よろこびの愛と言えば、わたしたち自身が神の喜びとなり、おん父が、私のことでおよろこびになるために、神を愛することです。
創立者の言葉
●『“神を喜ばせる愛”・・・それを神はあなたに期待しておられます。愛がなくても行える“愛や奉仕のわざ”以上に、“愛そのもの”に費やされる生涯を神は期待しておられるのです。』
●『神への愛は、感情ではかられるのではなく、主のためになしうる事柄によって、はかられます。自己の利益のためではなく、主に喜んでいただくためにのみ行う事柄によってはかられるのです。』
●イエスを限りなく愛し、イエスに奉献された者は、魂にも、心にも、そして、できるだけ顔にも悲しみを抱き続けてはなりません。
●落ち着き、喜び、それにもまして、快活は、よく生き抜かれている召命の最良のしるしです。
●落胆は、善を行うに当たって魂を“無能”にし、“無力”にしてしまいます。ですから、決して失望感に負けてはなりません。
2.礼拝の霊性 : 本会会員は、主のみことばと、ご聖体の秘跡において、また、自分自身のうちにおいて、直接、神と出会い、そして、礼拝することができるときに、喜ぶのです。
会員は、自分の全活動と、すべての状況において礼拝する方法を学ぶのです。
ー 苦労から
ー 仕事から
ー 家庭生活から
ー ひとりでいるときに
ー 世間と接触するときに
ー 祈りから
ー 使徒的活動から
ー 体または精神のやすらぎから
ー 生活の苦しみから
創立者の言葉
●『あなたの口を神への賛美で、心を神の愛で、魂をイエスご自身で満たしなさい。』
●『いつも祈らなければなりません。あなたの生涯はすべて、絶え間ない祈りでなければなりません。』
●『世俗のただなかにいても、仕事や任務のわずらわしさの中にあっても、精神の集中や黙想、さらに観想のうちにでさえ、生きることを妨げるものは何ひとつありません。』
3.償いといけにえ : ゲツセマネの園の中で、イエスは、支え慰めてくれる人をお探しになりましたが、人間の側から、それは得られませんでした。そのときに、聖霊によって遣わされた天使が、イエスを慰めました。(ルカ22章43)この天使こそ、イエスのために唯一の力、唯一の慰めとなりました。
本会会員は、天の、このみ使いのうちに、本会のカリスマの本質的な要素が明らかに示されていると認めています。それで自分も、ゲツセマネのい天使のようになり、その手本にならうことに対して大きな魅力を感じているのです。
そして、会員は、教皇ヨハネ・パウロ2世の次のことばを自分のものにします。
『とびらの前に立って、すべての人の心の戸を叩くお方は、人の自由を束縛しないで、むしろ、この自由から愛を引き出そうとされます。この愛は、苦しむ“人の子”に対する連帯だけではなく、ある意味で、わたしたちひとりびとりが、永遠のおん父のおん子に対して示すあわれみだと言えます。
(『あわれみ深い神』)
神は、愛そのものであるからこそ、人々の上に起る出来事に対して無関心ではあり得ません。そのために、わたしたちの行動のよしあしによって苦しんだり、お喜びになったりしておられます。
このことを知っている会員は、神ご自身、すなわち聖三位をお喜ばせすることができると、感じています。すなわち、つぐないを捧げることができるからこそ、神を慰めることができると、感じているのです。
創立者の言葉
●『“償い”・・・これこそ、あなたの生活方針となり、あなたの生涯の夢のすべてとなるべき現実です。』
●『自己を犠牲にしない“愛”それは愛ではありません!』
4.召された者を探すこと : 神のみ手は、召し出しの種を蒔き続けます。世界中いたる所に神は、種をまいておられるのです。
神が、ご自分への、より親密な交わりのために、お望みの人を選び、召されることを、会員はよく知っています。そして会員は、独特の協力を示すように召されていることに気付きます。それは召し出しを探し、発見するという使命です。
創立者の言葉
●『召命はあります。しかし“それを探す”必要があるのです!』
●『奉献生活を望んでいる人々に出会えるよう、倦むことなく捜し求め、苦しみ、祈り続けなさい。』
●『召命を確信している者は、いつも喜びのうちに生きる人でなければなりません。そして、“喜んで与える快活な人”でなければなりません。』
●『常にあなたがたの召命を愛しなさい。奉献された人は、生活の無言の模範によっても、証しすることができることを思い出しなさい。』
●『私たちの霊魂を成熟させるために役立つどんな機会も、これを見逃してはなりません。』